2005年8月26日金曜日

「民主党の農業公約は、農村票狙いのばらまきだ」(本間正義)



今朝の朝日新聞「9・11選挙、農政改革」で。朝日新聞も、たまにはまともなことも報道する。東京大学大学院教授の本間正義氏へのインタビュー。

本間教授は言う:
  1. 農業の構造改革とは、生産性の低いところから高いところへ、労働力、土地などの農業生産のための資源を移すことだ。
  2. 生産性の低い農家は、農業を止めて貰うことになる。
  3. (各党の農業公約について、どこに注目すべきか、との質問に)政策が日本の農業を守る目的なのか「農家保護」を狙う政策かを見極めることが重要。民主党の、全ての販売農家に1兆円の補助金をという公約は、農村票狙いのばらまきだ。

都市住民の味方であったと思っていた民主党が、ここまで落ちていたとは知らなかった。哀れ民主党、農村党に変身してしまった。都市住民を裏切った民主党は、結果として選挙で負けるしかないか。

2005年8月23日火曜日

団塊世代の農村移住支援・農水省……時代の流れに逆行している



この記事。一見親切そうに見えるんだけれど、彼らの深慮遠謀(陰謀)が隠されている。団塊の世代よ、だまされてはいけませんよ。

定年退職後「田舎暮らし」を希望する人達は多いという。それにつけ込んだのが、農水 省。耕作放棄された農地や空き家の農家を団塊の世代に貸し出すことで、農村人口の減少に歯止めをかけようと云う。そうまでして農村人口の減少傾向をストッ プさせなければいけないものか? だいたい日本の農村には人が住みすぎているのである。↓

「世界の国々と比べると、国土のいたるところに人が住む日本は異例だ」(日経新聞) 

日経:国土交通省は都市機能の郊外への膨張に歯止めをかける考え

おまけに貸し出す農地は10アール(約300坪)という。異常に農地が細かく細分 されてしまったおかげで生産性が極度に低いのが日本農業の本質的問題。やる気のある大規模農家や企業に農地を集約させることが喫緊の課題であるのに、全く 逆のことをやっている。定年で「園芸的趣味農業」を始めた人達は、死ぬまでその土地を手放さない。農業の大規模化などは進むわけはないのである。

農 水省のやりたいことは、現状の日本農業の特質である「園芸的趣味的農業」の「担い手」に広く定年退職者を取り込むことで、自分たちの支持層を広げようと言 うものであろう。定年退職者も一票を持っているから農村に取り込んでしまえば、自分たちに投票するだろうという読み。いわば体のいい人質。

おまけに農地は更に細分化され、地権借地権が更に複雑化し、大規模化を阻止する効果もある。何か、成田空港建設反対派による「一坪地主運動」を思い出してしまった。

2005年8月18日木曜日

農協新聞:農業理論の貧困……屁理屈を捻出できないから困ると言っても困るな



農協新聞(農業協同組合新聞)は、高い食い物を国民に食わせるのは正義であるとの「理論構築」に必死(ここ)。
い ま農村には、最近の農政はどこか根本的なところで間違っているのではないか、という疑念がある。しかし、それを的確に、また理論的に表明できない、という いらだちがある。「理論は力なり」というが、いまの農業理論は力になっていない。どうも納得できないのである。だから農協運動の原動力になる、しっかりし た理論がほしい、という熱い期待がある

でもね〜、しょせん理屈のないところに、理屈をでっち上げようとしても、しょせん無理。

あなた達が大好きな、ウヨクの笹川良一氏はこう言っている。

「人類、みな兄弟!」。

そう、中国の農民であれ、アメリカの農民であれ、日本人にとってはみな兄弟。みんな日本の都市住民にとって大切な食い物を作ってくれる有り難いお百姓さんなのだ。あんたらだけを優遇することは、笹川良一氏の有り難い教えに反することになる。

2005年8月15日月曜日

なぞなぞ(地域差別系):日本海「美人一県おき説」は正しいのでしょうか?



大笑いした「週刊朝日(8/19, 20合併号)」の調査記事。巷には日本海沿岸では「美人は一県おき」とする説がある。つまり、青森県はまあまま、でも秋田県は美人揃い、山形に入るとまあまあ、新潟に行くとまた美人揃い……以下福井県までその順番というものだ。これは都市伝説・迷信の類か? 週刊朝日は「負け犬」で有名な酒井順子先生を起用して、一週間がかりで1000キロ以上の距離を移動しながらの現地調査を実施せしめたのである。その結果が今週号に発表されている。

調査方法は、各県庁所在地の代表的な繁華街に行き、10台後半から30代と思われる女性100人を観察、酒井順子が美人だと認める女性の人数を記録する(交通量調査に使うカウンターを両手で使用)。女性の目だけでは偏見が入るので、男性編集者も同行し同じ判定作業を行い、両者の数字を合計して比率を求める。その結果があっと驚くこの数字(%):
青森  12,5
秋田  20.5
山形   7.0
新潟  12.5
富山   9.0
石川  12.5
福井   6.5


東京   4.0

最後に東京が入っているが、これは参考値。銀座松屋裏のスターバックスに座って店の前を通る女性100人を観察したものとのこと。東京の女性は化粧とか衣裳で誤魔化しているが、素顔だけで判定すると大したことはない(ブス揃い)とのことだ。秋田の美人度が際だって高いことがわかる。青森が意外と検討しているのは、ブス揃い東京から真っ先に行った場所だったので、調査員が幻惑されたものか。

結論的に「日本海美人一県おき説」は一応正しかったと「立証」できたとのこと。

それにしても、こんなアホみたいな調査に出張経費を出す「週刊朝日」とは、実にいい加減な会社で、とてもステキだ。

2005年8月5日金曜日

なぞなぞ「今どき内外価格差が10倍以上ある商品は何でしょう〜か?」



もちろん、それは「お米」と答えた人は、間違いではないけれど、それだけでは充分ではない。もっとすごいのがあったのだ!

今日の日経新聞によると、答えは「お砂糖」。内外価格差、実に“10.55倍”であるという。

ちなみにお砂糖にくわえてデンプンもすごい。日経の数字を上げると:
砂糖
輸入価格……2.4万円/トン
国産…… 24.8万円/トン (内外価格差10倍以上)

ちなみにデンプンは:
輸入価格……2.3万円/トン
国産価格……13.8万円/トン (内外価格差約6倍)

長年の最低価格制度や輸入製品に対する「調整金」、更に輸入商品を買う際に国産品を「抱き合わせ」で購入することを強制する制度がこれを可能にしてきたとのこと。

農水省は、いままでこんなおかしな制度は廃止するべく努力をしてきたが、その度に国内農業団体の強力な反対で挫折してしまったという。農水省は諦め気味だがというが、自分がツケを払うわけじゃないので気楽なもんだ。勘定を払っているのは都市住民。

安く供給できる輸入先を見ると、先進国が多い。日本よりはるかに高い実質所得水準にある国民の作る農産物にボロ負けしながら、日本の農民はどうして恥ずかしく思わないのだろうか? 「生活保護」としての農業保護政策には、もう正直うんざりする。生活保護にはちゃんと別の法制度があるのだ。日本の農産物輸入制度は、日本の農民をして自分たちは生活保護を受けていないという「欺瞞」に安住させ、彼等の傲慢さを維持させるだけの結果をもたらしている。

もぅ一度言う。生活保護を受けたければ、日本国にはそれに相応するに制度は完備されている。役場に行けば貰えるのだ。それを覆い隠そうとする国内農業保護政策は、実態の解決にはつながらない。

2005年7月21日木曜日

「負け犬は日本の伝統芸能・文化にハマる」(酒井順子)



今朝の日経「教養アゲイン」で酒井順子の次のような言葉が引用されている:
負け犬達の動向を見ていると、日本の伝統芸能、伝統文化にハマりゆく独身女性がいかに多いかが、理解できます。(『負け犬の遠吠え』より)

やたらナショナリズムと国粋主義にハマっている一部のネットウヨ達もそうなのかな〜。

独身女性の間で日本の古典芸能の人気が高いそうだ。観世流が仕舞教室を開いたら受講 者の7割は女性が占めたそうだ。また国立劇場が歌舞伎鑑賞教室を開いたら、これも7割が女性で、6割は20代から40代の女性だったらしい。たしかに中高 年女性の間での歌舞伎とか相撲見物熱は異常に高い。日経はこれでは男の子達は取り残されてしまうと危機感を表明しているが、そんなもんでもないだろうと思 う。

つまり女性達は茶道とか華道を習うのと同じ感覚で 歌舞伎鑑賞の教室に行っているのだと思う。文化には違いないが、どうも「教養」というものとはちょっとずれている感じがする。江戸時代から明治時代も歌舞 伎見物は奥様方の最大の趣味だった。でも、奥様方にはそれほど「教養」はなかったように思う。歌舞伎はテレビのバラエティー番組やブランド商品と同じよう なものだった。やたら芸能人のゴシップとブランド品の特徴に詳しいのと同じようなもんだ。

むしろ問題は、もし酒井順子氏が正しいとすれば、負け犬達が「一種の逃避として」古典芸能・文化にハマっているという面であり、悪いとは言っていないが、動機が不純なのである。

最近の若者達の間で、ニッポンはやっぱり一番だという国粋主義・ナショナリズムが蔓延っているという。もしこれも酒井順子氏が言われるような動機でそうなっているとすれば、日本は甚だ危うい。

Posted: Thu - July 21, 2005 at 07:00 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集  Previous   Next   Comments (4)  

2005年7月11日月曜日

農協新聞はもうちょっと「羞恥心」を持て!



農業協同組合新聞と いうオンラインの新聞がある。彼らはお金を持っているので、オンライン新聞としてはなかなかの出来栄えのものとなっている。でも、その内容がひどい! 消 費者の利益はまったく無視した、自分たちの利権擁護のためだけの宣伝(デンパ)アウトレットとなっている。農民利己主義丸出しの主張の繰り返し。もう ちょっと「羞恥心」を持って欲しい。

今回の論説も そうだ。日本の「農業」の将来を考えるのではなく「農民」の損得しか考えていない。農業改革を志向するまじめな提言者に対しては(御用学者を引っ張り出し て)名指しで執拗な人格攻撃をさせ、このめちゃめちゃな攻撃手法を農民に共有させるという戦略(理論武装のつもりらしいが)。

かくして日本の「農業」は亡び、日本の「農民」はますます豊かになるのである。

日本の農民世帯の年間収入は勤労者世帯の収入をはるかに上回る。おまけに自家用車なども農作業に使うとかいって経費申告自由自在だ。そのくせ弱者を気取る。

2005年7月6日水曜日

なぞなぞ「百歳以上の老人の人口比率は日米どちらが高い?」



今朝の日経経済教室で一橋大学教授の井伊雅子氏。もちろん「健康的な」伝統食を食べている日本だと答えた人は間違いでした。

井伊氏によると:
  1. 日本の百歳以上の人口は約23000人(2004年10月)
  2. 米国では約60000人(2004年7月)
  3. 米国の人口は日本の人口の約2.3倍。
  4. よって米国の方が長寿者の比率が高い。

とのこと。

井伊氏は高齢者医療改革の議論では「データに基づく議論が不可欠だ」と言うことをおっしゃるために一例としてこの数字を引いておられるのだが、医療面ばかりではなく日本ではこの種の思いこみに基づく議論が多すぎるように思われる。「和食=伝統食=健康食」という思いこみもこの類の議論だ。

今現在われわれが「和食」だと思って食べているものは、日本の伝統食なぞではない。天ぷらにしても牛鍋(すき焼き)にしても全部外国から來たもの。カレーライスも然り。戦後日本人の栄養失調問題の改善のためにGHQがやたらフライ(揚げ物)を推奨したのも(フライが一番簡単なカロリーアップ方法だった)いわゆる「日本の伝統食」をややこしくした。遡っては日本陸軍の兵隊食がある。陸軍でもやたらカロリーが重視された。そのためには材料が整わないときには、手っ取り早く砂糖を大量にぶち込んでカロリー計算の辻褄を合わせたと、さる主計士官から自分の体験として聞いたことがある。カレーライスが海軍から日本全土に広がったように、日本食がやたら甘辛くなったのもこのへんに理由があるのかもしれない。背景としてそれ以前の「伝統食」では兵隊を戦わせるだけのエネルギーが確保できなかったことがある。もちろんカロリーアップだけを考えたこの種の「改善」も健康食なんぞではない。

またぞろヘンな思いこみによる一律的な「食育」がなされるのであれば、困ったことである。


2005年6月17日金曜日

「問答無用のエコは新種の無神経」(中野香織)




今晩の日経で服飾史家の中野香織氏の名文句。大拍手だ。散人も、もう数十年、いわゆる「エコ」に対してこういった感想を持っている。

中野香織氏は言う:
  1. 会食の席で「マイはし」を使う人には、気が滅入る。
  2. 再利用された封筒で手紙を貰ったが、封筒の内側に見知らぬ人の名前が見えて引っ掛かる。
  3. でも、いまやエコは絶対的な正義だのだ。それ以上にファッションである。
  4. ロハス(Lifestyle of Health and Sustainability、健康的で維持可能なライフスタイル)はアメリカの人口の30%、市場規模は約30兆円となった。
  5. こうして「ロハス」は問答無用の常識にもなりつつある。
  6. でも、先週英国の「ザ・サンデー・タイムズ」に「ヌーヴォー・ルードの誕生(The Rise of the Nouveau Rude)」と題する記事があった。「新種の無神経」が誕生しているというのだ。わが意を得たりだ。
  7. 自分の価値観を最高と見なし、周囲もそのライフスタイルを真似すべきだと思っている人達は、疲れる。

御意、御意、中野香織様、大賛成! 日本にもこんな傘にかかったアホが多すぎるのだ。

昔々見たミア・ファローの映画ジョンとメリー」を思い出した。見も知らない二人がたまたまベッドインした翌朝、男が朝食の場で食卓に出たタマゴを自慢する。無農薬有機野菜で育った鶏の卵だと。それを聞いてのミア・ファローの独白(字幕にだけ出る)が面白かった。「あ〜、こいつもエコロのアホか!」

映画はハッピーエンドで、結構楽しいのでおすすめ。散人が言いたいのは、60年代世代のアメリカには、いかれたヒッピーの間にもまだまだ健全な常識が残っていたと言うことである。エコも結構だが、他人に強制することなく個人レベルでひっそりとやるのが、好ましいと思う。

Posted: Fri - June 17, 2005 at 07:05 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集  Previous   Next   Comments  

2005年6月11日土曜日

ザクロの花が咲いた、柘榴の渡来と風呂屋のざくろ口との関係など



わが家で一番エライ木はザクロ。一応ヤマモモが庭の主木だが春になると否が応でもザクロが存在感を増す。去年は枝を剪りすぎてほとんど咲かなかったが、今年はちゃんと咲いた。この調子じゃたくさん実をつけそう。

 

ザクロの花には異国のかおりがする。それもそのはず、原産地はイランだ。シルクロードをつたって中国に入り、平安時代には日本にやってきた。北野天神縁起 では菅原道真の怨霊が柘榴を食べて口から種を吹き出すとそれが火焔となって建物を焼こうとする。まるで人間火炎放射器。当時はエキゾティックで不思議な果物だと思われていたらしい。

これが定説だが、たまたま今日目にした本に、もっと古かった可能性があると書いてあった。
4022598549植物ごよみ
湯浅 浩史
朝日新聞社 2004-06-11
by G-Tools
しかしながら、ザクロの渡来はもっと早かったかも知れない。それはザクロには果物より重要な用途があったからである。古代の日本でもっとも価値の高い用具のひとつは鏡。それはどうで作られていた。銅はさびやすい。当然磨いて手入れをしなければならない。いったい何で磨いたのか。それに柘榴の果汁が使われていた可能性が高い。

小学館のニポニカを見ると:
仏典には降魔の威力をもつと出る。中国へは紀元前2世紀、張騫(ちようけん)が西域(せいいき)から持ち帰ったと伝えられ、日本ではかつて銅鏡を磨くのにこの果汁が用いられた。
(C)小学館

貴重な鏡を輸入したときにその手入れの仕方も同時に教えて貰っていると考えた方が自然。卑弥呼も柘榴を食べていたのかも知れない。

小学館でついでに「ざくろ口」を調べてみた。これも鏡と関係があったのだ。
ざくろ口。江戸時代の銭湯にあったもので、戸棚風呂(ぶろ)が開放的に進化した浴槽構造の一つ。左右および後部を羽目板で囲んだ小部屋に浴槽を設け、その前面に天井から低く板を垂らして張ったものである。蒸し風呂と湯浴の折衷の構造といえる。湯気の放散を防げるので湯も冷めにくい。その前面を覆った板の下部に、人が身をかがめてくぐれる程度のすきまがあり、客はそこを通って浴槽と流し場の間を出入りした。
 この語源として、昔は鏡を磨くのにザクロの実の醋(す)を用いたところから、「かがみ入る」と「鏡鋳(い)る」をかけて、ざくろ口とよばれたという。(C)小学館

ということで、きょうはいろいろ勉強した。日本の植物は、このように多くは外国から入ってきたもの。コメ(稲)もそうだ。日本人にしたって、大半は外来種だ。あまりブラックバスを目の敵にするのもどうかと思う。
 

2005年6月7日火曜日

日経経済教室:「農協の解体的改革を」(山下一仁)



今朝の日経「経済教室」は必読。日本の農業がなんでダメになったか、その根本的原因 と現実的な改革の具体策を簡潔にまとめている。かつて渾身の力作『農協』で農協批判を展開した立花隆が、いまやすっかり農業問題について口を閉ざしてし まった以上、山下一仁こそが数少ない勇気ある改革提言者だ。がんばれ!

山下一仁(経済産業研究所上席研究員)は言う:
  1. 兼業農家と一体となって事業を肥大化させてきたJA農協の存在が農業の構造改革を阻んでいる。農業の再生のためには、JAから信用・共済事業を分離して農業事業に特化させたり、JA傘下外で主業農家による専門農協を設立するなど、企業的農業を支援する必要がある。
  2. 農協の反対により数限りない農業改革が破綻した。農協が自らの基盤であるはずの農業の再生・構造改革に反対するのはなぜか。
  3. 農協法の組合員ひとり一票制のもとでは、少数の主業農家より圧倒的多数の兼業農家の声がJA運営に反映される仕組みであり、JAにとっても兼業農家を維持し農家戸数を確保した方が政治力を発揮できるから。
  4. 農業が衰退する一方、経済成長による兼業機会の増加と農地転用売却益により兼業農家は豊かになった。
  5. JAも農産物販売では赤字に転じる一方、信用・保険などの黒字拡大により高成長が続いた。JAは今や国内有数の金融機関となった。農家もJAも脱農・兼業化で豊かになった。こうして政治と強く結びつくようになった。
  6. 農業の再生を図るためにはどうしても企業的農家を育てる必要があるが、全ての農家を平等に扱う組織原理が企業的農家の育成を阻んでいる。
  7. JAに主業農家の声をもっと反映させなければならない。そのためには農協利用度に応じてひとり一票制を見直すことや、信用・共済事業の分離が提案されたが、JAの反対で流れてしまった。
  8. それならば現行制度で対応できる方法として、コメ主業農家による専門農協設立を支援してはどうか。「農家のための農協」が「農業のための農協」になるようにする。
  9. 主業農家が脱落すれば、零細・非効率な兼業農家のためだけのJA農業関連事業は縮小せざるを得なくなる。このときこそ、「真の農業者のための農政」が実現する。

勇気ある発言だ。まったくの正論だが、今の日本では、正論を発言するのに勇気が必要とされるのだ。あいつらを敵に回すとホント怖いから。

日経経済教室:「農協の解体的改革を」(山下一仁)



今朝の日経「経済教室」は必読。日本の農業がなんでダメになったか、その根本的原因 と現実的な改革の具体策を簡潔にまとめている。かつて渾身の力作『農協』で農協批判を展開した立花隆が、いまやすっかり農業問題について口を閉ざしてし まった以上、山下一仁こそが数少ない勇気ある改革提言者だ。がんばれ!

山下一仁(経済産業研究所上席研究員)は言う:
  1. 兼業農家と一体となって事業を肥大化させてきたJA農協の存在が農業の構造改革を阻んでいる。農業の再生のためには、JAから信用・共済事業を分離して農業事業に特化させたり、JA傘下外で主業農家による専門農協を設立するなど、企業的農業を支援する必要がある。
  2. 農協の反対により数限りない農業改革が破綻した。農協が自らの基盤であるはずの農業の再生・構造改革に反対するのはなぜか。
  3. 農協法の組合員ひとり一票制のもとでは、少数の主業農家より圧倒的多数の兼業農家の声がJA運営に反映される仕組みであり、JAにとっても兼業農家を維持し農家戸数を確保した方が政治力を発揮できるから。
  4. 農業が衰退する一方、経済成長による兼業機会の増加と農地転用売却益により兼業農家は豊かになった。
  5. JAも農産物販売では赤字に転じる一方、信用・保険などの黒字拡大により高成長が続いた。JAは今や国内有数の金融機関となった。農家もJAも脱農・兼業化で豊かになった。こうして政治と強く結びつくようになった。
  6. 農業の再生を図るためにはどうしても企業的農家を育てる必要があるが、全ての農家を平等に扱う組織原理が企業的農家の育成を阻んでいる。
  7. JAに主業農家の声をもっと反映させなければならない。そのためには農協利用度に応じてひとり一票制を見直すことや、信用・共済事業の分離が提案されたが、JAの反対で流れてしまった。
  8. それならば現行制度で対応できる方法として、コメ主業農家による専門農協設立を支援してはどうか。「農家のための農協」が「農業のための農協」になるようにする。
  9. 主業農家が脱落すれば、零細・非効率な兼業農家のためだけのJA農業関連事業は縮小せざるを得なくなる。このときこそ、「真の農業者のための農政」が実現する。

勇気ある発言だ。まったくの正論だが、今の日本では、正論を発言するのに勇気が必要とされるのだ。あいつらを敵に回すとホント怖いから。

2005年6月3日金曜日

白内障の手術の模様は患者はそれを直視する……吉行淳之介『目玉』



吉行淳之介を読んでいたら、面白いくだりに出くわした。白内障の手術の模様。目の手術だから、目を閉じてやるわけにはいかない。当然開きっぱなしだ。だから患者は自分の目の中にメスが入ってくるのを直視することとなる。

吉行の本とはこれ↓

4103243139
吉行 淳之介
新潮社 1989-09

by G-Tools

はじめて知ったが、吉行淳之介は散人とほぼ同じ時に白内障の手術をしている。そのへんの描写が真に迫っており、散人の経験とまったく同じ。怖いものにちょっと興味のある人は読めばいいと思う。「こういう世界(自分の目の中にメスが入ってきてきれいな泡が立ったりする幻想的な世界)は手術をしている医者も経験したことがないだろう」と吉行は書いているが、そうなんです。あれはとても美しい。

目玉に局部麻酔の注射をやるのがちょっといやだったが、覚悟を決めて、まな板の鯉だ、切るなり殺すなりどうでもしろ、と開き直ると意外とどうと言うこともなかった。やっていることが全部見えるので安心感もある。

そ れにしても当時(80年代)は白内障患者に人工水晶体の埋め込み手術をする病院は、日本じゃごく少数だった。外国では一般的であったが、日本のエライ先生 達がダメだと言っていたので権威のある病院では逆に遅れた。こういうことは人工水晶体だけに限ったことであればいいのだが……。

2005年6月1日水曜日

「アホウドリという名をオキノタユウに変えよう」(長谷川博)



学士会夕食会という爺さん連中が集まるたいそうなところで東邦大学理学部教授の長谷川博氏が提言(学士会会報 No.852 夕食会講演録「アホウドリの復活の夢を追って」)。

長谷川教授は絶滅したと思われていた日本のアホウドリを復活させるべくたいへんなご尽力をされている方。ついに鳥島(八丈島の南の方)のアホウドリは1000羽を超えたという。

でも、アホウドリという名前は差別的でありよくないとおっしゃる。もっともなご意見。曰く:
アホウドリは英語ではアルバトロス albatross といいます。これは案外良い意味だと思うのですが、別名のグーニー gooney というのは「おばかさん」という意味のようです。オランダ語から派生したモリモーク mollymauk もあまりよくない意味らしいです。のろまとかちょっと不細工とか、そういうニュアンスかも知れません。

日本でも、かつてもう少しいい名前がありました。長門地方、現在の山口県では、沖の太夫と呼びました。日本海の漁師は使っていた言葉で、沖の方に住んでいるきれいな鳥とか、立派な鳥という意味だと思います。ぼくは、アホウドリという名をオキノタユウに変えたらどうかと提案しています。

差別用語は人間に対してばかりがよくないのじゃないよね。植物の名前にやたら出てくる「イヌ」というのも、気に入らない。そういえば「ヘクソカズラ」とか「イヌノフグリ」とかもあるな。

Posted: Wed - June 1, 2005 at 06:27 PM   Letter from Yochomachi   野鳥観察   Previous   Next   Comments (1)  

2005年5月31日火曜日

「早稲田にはオタクっぽい学生が集まりやすくニートになりやすい」(和田秀樹@AERA)



精神科医の和田秀樹氏が、こんな迷言(?)を言っている。いいのかな?

今週号のAERA「オタク化するワセダに挑戦する広報教授」で、和田秀樹は言う:
早稲田の学生はフリーターやニートになってしまう割合が、東大や慶応に較べて高い。入学試験がマークシート形式で面接もないから、オタクっぽい学生が集まりやすいことが一因でしょう。早稲田に子供を入れた親たちが心配するのはこの辺りです。

司法試験も1次試験はマークシートだが、1次試験だからいいのか。でもTOEFLはどうなんだろう?

Posted: Tue - May 31, 2005 at 04:30 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集  Previous   Next   Comments (7)  

2005年5月17日火曜日

「“理屈は後から貨車で来る”と言って、コメの価格が需要・供給や国際価格動向と関係なしに政治力だけで決められる」(加藤寛)



今度の日経「私の履歴書」は加藤寛が書いているがなかなか面白い。掲題の言葉は加藤寛(千葉商科大学長)が米価審議会委員を務めていたときの話。こういうことが続いてきたから、日本の農業は今の悲惨な状況になってしまった。

米価審議会の会場の周りには4500人の農民が集合し、加藤寛は目の敵にされもみくちゃにされたそうだ。曰く:
中庭に陣取る宣伝カーが「そいつは引き上げ反対だぁ」と怒鳴る。筵旗と鉢巻きがわっと押し寄せ、背広を破かれ眼鏡が壊され靴がどこかに飛んで行く。

でも、米価審議会委員に出される食事がとびきり美味しかったそうで、討議のさなかに毎回腹一杯食べて仕舞われたとのこと。だから太ったんだね>加藤

農業問題に口を出すと、日本ではこのような生産者からの嫌がらせが直ぐ飛び込んでくる。加藤はおいしいお弁当を食べさせて貰ったからまだいいが、一銭にもならないブログを書いてそれをやられると、割に合わんな〜。

Posted: Tue - May 17, 2005 at 12:26 PM   Letter from Yochomachi   農業問題  Previous   Next   Comments (2)  

2005年5月13日金曜日

「親が漁師でないと、漁師になられへん!」(茶髪のお兄ちゃん漁師)




今晩のNHKの「家族に乾杯」。あの番組は面白いので欠かさず見る。日本の地方生活の豊かさを実感できる数少ない番組。今晩の鶴瓶とベッキーは、兵庫県明石と岩戸(淡路島)に訪れた。そこで若い茶髪の漁師(見習い?)がおっしゃった言葉がこれ。

漁師というのはいい商売だと思う。趣味と実益が兼ね備わった数少ない商売だからだ。 もちろん命がけでの商売であり、だから面白いのであるが、普通の人はそう簡単には漁師にはなれない。東急グループの総帥、五島昇は死ぬまで自分が「漁師」 の資格があることを自慢していた。東急グループの影響力をもってして、ついに下田漁協の組合員の資格を手に入れたのである。普通の人には出来ないことなの で、五島はそれを自分のなしとげた最大の功績として吹聴していた。日本の海は国民のものではあるが、そこで漁をしようとしても、親が漁師でなければ漁師に はなれない世界なのだ。

農村でも同じことが言える。都 会人はいくら「農民」に憧れようと、農民とはなれない。せいぜい年に数十万円の「料金」を払って、小さな園芸用の農地を借り受けることが出来る程度。農民 になるには、やはり「親が農民でなければ、なれない!」のである。株式会社の農業参入もようやく認められつつあるが、株式会社の農地所有はもってのほかの ことだ。農地のリース料という名目で農村に多大の上納金を払わねば、日本では農業は出来ない。株式会社には「小作農」としてしか農業は認められていないの である。

散人が、農村・漁村住民を「利権集団」と呼ぶ のは、こういう背景がある。自然と共生する生活を憧れて農村・漁村に移住しようとする人は、まずこの現実に直面することとなる。人間生活はそんな甘いもの ではない。都会人がいくら資金とノウハウを蓄積しても、現実には農業・漁業に参入することは不可能に近い。やれることは、年数十万円の料金を払って農業 (園芸)の「おまねごと」をさせて貰うことぐらい。不合理だとは思っても仕方がない。それが日本の現実なのである。

不条理だとは思わないか?


参考ページ:NHK 生活ほっと「脱サラしてアサリ採り」うらやましな僕もやりたい!

Posted: Fri - May 13, 2005 at 09:11 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集  Previous   Next   Comments (3) 

2005年5月10日火曜日

女子大生を中心に強まる専業主婦願望


日経:女子大生を中心に強まる専業主婦願望


今日の日経生活欄。若い女性の間で専業主婦を夢見る人が増えつつあるという。「いまの若い世代は『ラク』がキーワード」という山田昌弘東京学芸大学教授の言も紹介されている。う〜ん、彼女らはそれほどナイーブではなかったのだ……でも日本の将来を考えると、困るな〜。

少子化を迎える日本経済の将来は、いま労働力化されていない女性労働力をいかにして有効に活用するかにかかっている。彼等が働き出すことこそが、大切なのである。だから女性の社会進出を主張する女性平等主義者や「フェミニスト」などの、過激(失礼、熱心な)行動は、とても好意的にとらえていた。ところが最近の若い女性は、フェミニストなどの「教育的指導」には無関心で、専業主婦を夢見ているという。なんたることだ!

「雑誌を開けば、高級住宅地に住み、昼はレストランでランチを楽しむセレブ主婦を目の当たりにさせられる時代。“ガラスの天井”がある社会の現実より、専業主婦の方がずっと楽しく映るのだろう」と立正大の宮城まり子助教授。

現実社会はそれほど甘くはない、主婦が働くのと働かないのでは世帯生涯収入で数億円の差が出るのだ、と彼女らを諭さねばならない、とするのが普通の常識だ。

でも同じ日経新聞「やさしい経済学」コラムによれば、現在社会は、所得(フロー)よりも資産(ストック)の差が決定的な階級格差になりつつあるという。若い女性は、高収入を目指して共働きで都市で頑張るよりも、ストックをもつ旦那(例えば土地資産をもつ地方農村出身者など)と結婚する方が経済的にはるかに有利であると知っているのだ。だったらあまり頑張る必要はない。いい旦那を選んで専業主婦になる方がはるかに「ラク」なのである。

かくして、日本経済は「落ち目に向けてまっしぐら」となるのである。能力を有してフローで稼ぐ人間に報いる社会を実現せねばならない、と真面目に思う。



2005年4月29日金曜日

なぞなぞ(文学・博物系)「“トチメンボー”の正体はいったい何なのでしょうか?」



今日勉強したばかりの知識です。夏目漱石の『吾輩は猫である』で迷亭先生が高級レストランに入って「トチメンボー」を出せといってボーイを困らせる話があります。もちろんそんな料理は存在せず迷亭のでっち上げなのですが、問題はどうして漱石が「トチメンボー」なる名前を思いついたのかという点。いやどうも岩波書店の注釈とは違うみたいだぞ!

岩波書店の注釈は次の通り:
四七13 トチメンボー 四九13に出る俳人の名栃面坊をもってきて、西洋料理の名らしくかついだもの。(四八3 メンチボー mince ball メンチボールのこと)

そうか、俳人の名前なのかと納得していたが、今日出くわした文章がこれ。山田宗睦『花 古事記』p372:
トチの実を麺にする棒を、とちめん棒といった。トチを蒸してさめないうちにとちめん棒でのばさねばならないところから、いつしかあわて者をとちめん棒と呼ぶようになった(俚言集覧)。かほみせのその人よりもそばそばでとちめん棒の手うち連中、という狂歌もある。平賀源内の風来山人集にも、十返舎一九の東海道膝栗毛にも、でてくる。あの弥次郎兵衛が、栃面屋弥次郎兵衛なのである。

漱石は講談が大好きだったから、俳人の名はおまけであって、むしろこっちの方を念頭に思いついた言葉かも知れない。いやそうに違いない。

花 古事記―植物の日本誌
山田 宗睦
八坂書房 1989-08


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この本、他にもいろいろ発見がある。おすすめ。
 

2005年4月20日水曜日

荷風関連文献リスト&荷風経済年表

.Mac iDisk の公開ファイルですが、.Mac 閉鎖のため Google Drive に移したもの。ちょっと古いですがご参考まで:

  荷風経済年表

  荷風関連文献リスト